I need to be in love - 5/5

【アバッキオ視点】

リストランテで思わず触れてしまったヤツが、いつの間にか恐怖におののくことがなくなっている。それどころか、まるで恋でもしているように、ぎこちない。そのことに喜びを覚えたのも、束の間だった。

今、アイツは何と言ったんだ? 自分は既に穢れている、だと? アイツが警官を殴ったから、それは未遂に終わったんじゃあなかったのか? それに、一度や二度じゃあない……? あんなに触れられるにが嫌なはずのアイツが、一体誰に身体を許したってんだッ!?

仕事に支障をきたさないのはもちろんだが、それでも時折ミスタとナランチャが意味ありげな視線をよこしてきた。今日はうちに縄張りの店の用心棒とか、そういった仕事だったんで、時間になった途端にふたりに断りを言って独りで帰らせて貰った。向かったのはもちろんアイツの潜入先だ…。

もちろん、任務の邪魔をするわけじゃあない。それに、潜入先のターゲットは始末するんじゃあない。そのうち揺すりの材料にするために、動向を探るだけだったはず。もうずらかっているかもしれない。現場でアイツを俺のムーディー・ブルースで再生、早送りする。アイツは何度か公衆電話と潜入先を行ったり来たりした後、街へ向かって歩き出した。

――おいおい、フーゴが迎えに来るんじゃあないのか?

アレックスは子どもの姿のままで歩いて行く。あれじゃあいつ襲われたっておかしくねェ。俺は慌てて追った。ムーディー・ブルースのタイマーを見れば10分ほど前だ。まだ間に合う。
しかしいくら追っても、アレックスの本体が見えてこない。しかも、途中からヤケに後ろを振り返るような素振りを見せながら速足で歩いている。もしかして、敵に見つかったのか…? タイマーが1分を切ったところで、子どものアレックスは遂に物陰に隠れたかと思うと、近くのゴミステーションのボックスに入り込もうとした。

――アレックス……あそこにもういなかったらッ……!?

俺はスタンドをしまうのもそこそこに、ガバッとその派手な色のプラスチックの箱を開けた。暗闇の中でふたつの煌めきを確認したかと思うと、現れたのは必死の形相のアレックスだった。

「あ、アバッキオ……なんだ、アバッキオだったのか……驚かさないでくださいよォ……」

安堵の表情を浮かべたかと思うと、ぴょんとゴミ箱から飛び出た。

「誰かに追われてる気がしたから、潜入先のヤツらに見つかったのかと思った……良かったです……」

俺とは目を合わせることなく、そう言って服についたゴミを払う。俺はアレックスの前に回り込むと、しゃがんで視線を合わせた。

「フーゴはどうした? 迎えに来ねーのか?」
「ええ。別の任務が入ったから来られなくなったようです」
「だからって……そのカッコはねェだろ、襲ってくれっつてんのか」
「仕方ないです、着替えを持ってこなかったんで。少し大きめの服ではありますけど、これで大人になったら服が破れます……緊急時にはそれも覚悟の上ですけど」

そう言うと、アレックスは急に速足で歩き出した。

「アバッキオ、せっかく目立たないように子どもになって来たのに、これでは目立ってしまいます。早く俺から離れて……えっ!?」

言い終わるより前に、俺は子どものアレックスを抱き上げて、走り出していた。

「ちょっ……アバッキオ……いくら子どもとはいえ10歳なんですよッ、重いですってッ!」
「黙ってろ、舌噛むぞ」

揺さぶられながら一生懸命に話すアレックスを、そう言って黙らせた。そのまま治安の悪い地域を駆け抜けて、なんとか駅まで辿り着いた。たまたまある店が目に入る。走って上がってしまった息を整えてながらそれを見ていると、そろそろ降ろして欲しいとアレックスが言い始める。ヤツを尻目に、俺は言った。

「お前も、ああいうところで服を買うのか?」
「アバッキオ、聞いてるんですか?」
「訊いてるのは俺だ」

アレックスは溜め息を付くと、そのレディースを扱うブティックを見た。

「買いませんよ、女の姿で街なんて歩きませんし」
「じゃあ、これから買おうぜ」
「は!?」

俺は、そのままアレックスを駅の柱の陰に連れ込んだ。

「ほれ、戻れ。じゃあないとこのまま抱き上げて連れてくぞ。その服、元の女の小柄な体型なら、ギリギリなんとかなるだろうが。金は俺が出す」

一瞬口をパクパクさせたアレックスだったが、すぐに正気に返ったのか、ここまで来たなら、子どもの姿で帰れると散々反論してきた。

「さっき何を考えて、あんなふざけたことを抜かしたか知らねーが」

それを遮って話し始めると、アレックスは顔を青くして黙り込んだ。

「俺があれで、お前を嫌いになるとでも思ったか? 俺がどれだけ落ちぶれた汚いヤツかってことは、こないだ話したところだろうが。

俺は女だから何をしても許されるだとか、男より低いとか思わねェ。嫌がることもしたいとは思わん。ただ、俺にとっては普段のアレックスもそうだが、女のアレックスも大事にしてやりたい」

それを聞いて、アレックスは暫く呆然としていたが、仕方なくスタンドを解除した。一見、少しパツパツなボーイッシュな服を着た女って感じで、特に違和感はない。だが、胸の前で不自然に腕を組んでいて、彼女について行こうとした俺にこう言い放った。

「そこで待っててください。下着も買わなきゃあいけないので」

赤く染まった顔を見て、俺は思わずニヤついてしまった。

* * *

男のときも女のときも、アレックスは白いTシャツの上に青系統のシャツやパーカーを重ね着し、ジーパンを履いているようなヤツだった。それが、今は首から胸元にかけてシースルーのレースで覆われた、ベージュのワンピースを着て、黒いヒールを履いて俺の前に立っている。もともとよく日焼けした彼女の肌にその色がよく馴染んでいた。俯き加減で俺に近づいてくると、その瞼に載せられた色や、アイラインが見えた。

「これで……リストランテに戻るんですか?」
「いや。あの辺には戻るつもりだが……そっから歩くか。フーゴには任務完了は言ってあるだろ?」

頷く彼女に手を差し出すと、戸惑いながらもそっと手を載せられた。少し強張った動きではあったが、以前のような拒否や、何よりスタンドの気配は感じなかった。

「店員さんが……勧めてきたからヒールにしたけど……殆ど履いたことなんてないから……」

俯きながら必死に言い訳をする彼女がいじらしかった。

「それじゃあ、コケねェようにつかまってな」

そのまま駅から地下鉄に乗り、ネアポリスに戻ると、海沿いの遊歩道へと来た。

「アバッキオ」

人通りの少ない海辺まで来たところで、それまで沈黙を守っていたアレックスに呼ばれる。足を止めて振り返った。

「わたしは……アバッキオが思っているほど、真っ直ぐな女でも可哀想な女でもない。ブチャラティを探し出すまで、身体を売ってたのだって本当のことだ。買いかぶらないで欲しい。本当に……」

そういう事だったか……と思いつつ、そんなことを気にしてるコイツがくだらねぇとも思った。そりゃあ、腹立たしい。でも、それはアレックスじゃあない。娼婦がなぜ身体を売るか、アレックスのことだ、好き好んでそうしたわけじゃあないだろう。頑として身体に触れることさえ許さないコイツを、金と力にモノを言わせて手に入れちまった、何人もの野郎に対しての怒りだ。その中には、アレックスの人生を台無しにしたヤツだって入っている。

「だから、そうじゃあねぇって前にも言っただろうが」
「それに! こんな性欲処理もできないような、ギャングの女と恋人になってどうするんだ!? アンタにも、わたしにも、何も良いことなんてひとつもないッ!!」

アレックスはそう言いながら、俺の手を振りほどこうとしたようだったが、それは俺が許さなかった。そのまま手を引いて引き寄せる。

「お前が身体を売ってたことに何も感じなかったわけじゃあない。でも、俺もお前も、今だって生きるために人を殺して、騙して、痛めつけている。それはブチャラティや組織こそが正義と信じているからだ。その時のお前にとって、生きていくための自己犠牲がそれだったんだ。俺は責めねェ。むしろ、お前を金で何とかしたヤツに腹が立つぜ」

そのまま、アレックスの肩を反対の手で撫でた。ノースリーブのワンピースで露わになっている肌が、滑らかだ。アレックスはピクッと身体を震わせつつも、以前のように拒否することはない。

「お前だって、辛そうな顔して言いやがって。そういう行為で良い思いをしたことがねェっつうなら、俺がそうさせてやりてェくらいだ。お前の言った通り、お前へのこの感情はエゴだし、お前への欲がないわけじゃあない。むしろ、身体も心も欲しい」

不安げな表情になっていくアレックスに気付くと、慌てて肩から手を離す。でも、手からは離さない。

「もちろん、今すぐじゃあねぇ。でも、気付いてたか? 前は手を握っただけでも怖じ気ついてたお前が、今日俺と手を繋いでここまで来たんだ。恐らく、違う意味で緊張しているお前に、俺が勘違いしてるわけじゃあ、ないな? え?」

ハッとしたように手を見つめるアレックスが、再び頬を染めていく。今日は完全に、女の顔だ。見た目だけじゃあない、滲み出る表情が今日は何もかも新鮮で、愛おしい。

「アレックス……どうして警官になりたかったんだ……?」

唐突だったが、俺には大事なことだった。コイツと俺が組織以外に、唯一同じ場所にいた証だからだ。

「それ……夢の中で、同じこと訊かれたわ、アバッキオに……」

特に疑問を持つこともなく、ハッと顔を上げて、アレックスのヤツは言った。写真屋のスタンドに見せられた夢の中のことらしい。

「たぶん……正義を守りたかったからだわ……でも、今思えばそれは上っ面でしかない。
結局、他人じゃあなくて自分を……自分を守る力が欲しかっただけ……」
「それじゃあ、守るのが他人なら、良いのか? 正義か?」
「そうじゃあない?」

肯定の返事を得られて、思わずニヤリとした。それなら、答えは簡単じゃあねぇか。

「お前を守る正義のため……お前を愛しちゃあ、いけないか?」
「え?」
「お前もそうだ。俺を生かす正義のために……お互いの安息のために、愛してはくれねェのか?
俺たちが積み重ねてきたことは正義でも何でもねェし、むしろ赦されねェことばかりだ。でも、俺とお前の中にちょっとだけ残っている、過去に置いてきた正義のために……それなら、ギャングの俺たちだって構わないんじゃあないか?」

しばらくそれを黙って聞いていたアレックスだったが、笑みを浮かべて、ふっと溜め息をついて言った。

「回りくどいよ」
「ああ、俺もそう思う。だから……」

アレックスを優しく抱き寄せて、身を屈めて頬を寄せる。本当は、キスしていいか? なんて訊かずに奪ってしまいたい。このイタリアで、そんなことをわざわざ訊くなど野暮だ。でも、コイツには必要なことだ。すると、驚いたことに、アレックスは俺の身体に手をまわしてきた。

「本当は……怖かった……あの事を言って、アバッキオが離れて行くのが……だから……」

皆まで言わせず、顎を上向かせると、口を塞いだ。ルージュを塗っているアイツの唇が、俺のものとよく馴染んで、絡むようだった。目を開けて、ヤツの瞳にぶつかると、お互いに囁きあった。

「Ti amo アレックス」
「Anch’io……ti amo.」

FINE.