【アバッキオ視点】
「戻りました」
澄んだ青年の声がリストランテの一室に響いた。ヘッドホンを外して首に掛け、読んでいた雑誌からそっと目をやる。ミスタやナランチャに軽口を叩かれつつも、負けじとそれに応戦するアレックスがいる。そんなアイツを見ていると、心なしか溜め息が漏れる。横から意味ありげに視線をよこすフーゴとブチャラティは敢えて無視した。
アレックスのヤツが、自分が女であることを明かしてからしばらく経つ。最初はぎこちなかったチームだったが、任務を重ねるにつれて、ようやくその緊張も解れてきたように思えた。考えてみれば、アレックスが入団した頃をなぞるような、そんな毎日だった。
俺もアレックスが来た当初は、なんてナヨナヨした野郎が来たかと思ったものだった。しかし、仕事には実直だった。……よく考えれば、この頃から、ヤツの真面目さに過去の自分を見るような気がして辛かったのかもしれないと、今となっては思う。正義を夢見ていた自分……そして、アレックス。結局、それは繋がっていた。
「ブチャラティ。今日の任務ですが……」
この部屋にチームのメンバーしかいないのを確認して、アレックスは女性に戻っていた。相変わらず男として生活していたが、俺たちがいつもいるこのリストランテの一室は、少し奥まったところにあるため、この部屋だけスタンドを解いている。
「アレックス。もう次に行くのか? 少し休んで行け」
そんなブチャラティの怪訝そうな声に、思わず耳を傾ける。
「ええ……でも、この時間に来てほしいと言われたし、そろそろ行かないと……」
女性に戻る時間が増えたからだろうか、口調も女性に戻っていることが増えた。だが、変わらないことはある。最初は女であることを隠しているからこその素っ気なさだと思っていたが、どうも違うようだった。
「おい、独りで何でもかんでもしようと思うな。次はどこに何時だ。」
その違和感を覚えたときには、おのずから口にしていた。アレックスが困ったような表情を俺に向けてくる。しかし、ブチャラティは逆に安堵した表情を見せた。結局、この後予定のなかった俺が、ブチャラティの命令により任務を代わることとなった。どこか納得いかないという表情のアレックスと、訝しげに俺を見るメンバーを残して、リストランテを出た。
* * *
俺がアレックスの過去を知ったことを把握しているブチャラティはもちろんだが、俺とアレックスの間に流れる空気が変わったのを誰もが感じているだろう。
あの日、何とはなしに握りしめてしまったアレックスの手の温もりを、俺は忘れられないでいた。ブチャラティが言っていた通り、俺はアレックスの過去を聞いてからというもの、すっかりヤツを見る目が変わってしまった。だが、「女だから同情しているだけだ」「それじゃあダメなんだ」というアイツの声を思い出す度、俺は何かに惑わされているだけなのか、自分でも分からなくなっていた。
「おや……」
用心棒を依頼してきた店主は、俺を見て意外な顔をした。事情を話してもどこか納得いかないような、窺うような視線を投げかけてきた。結局店の見張りも何事もなく終わったのだが、最後になってソイツはとんでもねぇことを口にしやがった。
「あのぅ、いつもの兄ちゃんなんですがねェ。
実は……ちょっとどうかなという女の子がいたんでね……ヘヘヘ」
確かに、ここは酒を出す店ではあったし、色んな商売の女も出入りする店ではあった。だが、続く言葉に背筋の凍る思いがした。
「でもあの方は……女の子に興味ないですかね……どっちかと言えば、男性の方が好む雰囲気ですが――」
――ドカン!! ガチャン!!
気付いたときには、店の外に置かれていた酒瓶やラックを蹴飛ばしていた。
「てめェ……もっぺん言ってみな…次はてめェのツラの番だ」
ああ……やっぱり……と震えながら声を漏らす店主を置いて、俺は去った。
* * *
リストランテに戻ると、アレックスをはじめ、他のメンバーは既に帰宅した後だった。残っていたブチャラティに簡単に任務を報告したが、その目は明らかに何かがあったことを察しており、疑り深くこちらを見つめていた。
「大したことはねェ。ただ、店主がアイツに何かを感じ取ったのか、男を紹介しようとしてやがったからよォ。止めただけだぜ」
それを聞いても、ブチャラティは焦る様子もなくフッと鼻で笑っただけであった。
「何が可笑しい、ブチャラティ。アイツは隙だらけで……」
「いや、何ともない。心配ならアレックスにも忠告しといてやることだな」
それを真に受けたワケではなかったが、俺の足は自然とそこからアレックスのアパートへと向かっていた。そう何回も訪れたことがあるわけではない。ただ、任務の伝達のこともあり、メンバーの自宅は把握していた。
アレックスは、昼間と同じく疲れた表情をしていた。夜の急な訪問に飛び起きたのか、女性のままだった。少し緩めの大きさの部屋着から覗く肌が、どこか艶めかしい。
「話があるなら、いつもの姿で、どこかカフェでもバーでも聞きますけど」
「そうじゃあねェ」
そこでやっと気が付いた。アレックスは警戒している。同じチームの仲間とはいえ、俺は男で、コイツは女だってこと。そして、アレックスが何をきっかけに落ちぶれてしまったかをだ。
「ここでいい」
それで、俺は例の忠告をした。アレックスは相変わらずくたびれた顔で聞いている。
「アバッキオ。わざわざこんな時間にそんなことを言いに来たんですか……?」
しかし、その目が鋭く光っているのを俺は見逃しやしなかった。
「別に隙は見せてません。そういう事を言われてもちゃんと言い返したりしてますから。
変身しても貴方みたいな近寄りがたいオーラは手に入れられないんですよ。これは人柄とか、わたし自身の問題なので。茶化されるのはどうしようもないんです」
もういいですかとドアを閉めかけたところを、腕を掴んで阻止した。アレックスの腕が強ばり、僅かに震えたのが分かった。思わず、力に頼ったことを後悔した。でも、話を一方的に切り上げられるのは納得いかない。
――ああ。前から思っていたが、やっぱりコイツは……。
そう思ったところで、アレックスは再び扉を開けてじろりと俺を見た。そこで俺も、ヤツの腕を解放する。
「お前が闇雲に仕事を入れるからよ……見ていられなかっただけだ」
「すみません。でも、今はチームに認めて貰うための一番の勝負どころなんです」
「だからって、失敗したら意味ねぇだろうが。それに、そういうことじゃあねェ」
アレックスは、勘違いをしている。それはずっと思ってきたことだった。だから、女であることを隠すなんて、信頼にマイナスになるような選択をした。
「強さを見せるだけじゃあない。仲間を頼れ。ひとりで何とかしようとするんじゃねぇ」
「貴方に言われたって、何の説得力もありませんよ」
「……どういう意味だ?」
さっき、俺のことを近寄りがたいオーラだと言った。その事か。俺が尋ねると、アレックスは若干苛ついたように続けた。
「だから、アバッキオは体格も良いし、怖そうなオーラもあって羨ましいです。
わたしは体格良くしたところで、ただの筋肉バカにしか見えないんで」
本人は自嘲気味に言ったんだろうが、俺はそれを笑い返してやることが出来なかった。玄関のドアの隙間に身体を押し込むように入ると、それに驚いたアレックスの手離したドアが背後でカチャンと弱々しい音を立てて閉まった。
「アレックス。俺は、お前が言うような男じゃあない」
傍らにムーディー・ブルースを出す。前触れもなくスタンドを出したことで#name#は身を硬くしたが、ムーディー・ブルースがカシャカシャと巻き戻しを始めたところで、呆然とそれを見つめた。
「お前も知っての通り、コイツを操作している間、俺は何もできねェ。
お前はスーパー・スターで自分を守れるかもしれねぇが、俺はスタンドで何も守れねェし、何の強さもない」
再生が始まった。制服姿で、今よりほんの少し若い俺は、みるみるうちに苦悶の表情に変わり、最後には絶叫し崩れ落ちた。俺だってこんな自分を好き好んで振り返りたいわけじゃあない。でも、コイツには必要なことだ。
「自分の成りたかった者になれなかった、哀れでバカな男だ。俺自身の心の弱さで取り返しのつかない罪を犯した。この弱さを、俺が自分の口で告白したのは、お前だけだ」
アレックスは、しっかりと俺を見ていた。ムーディー・ブルースは、そのまま俺の姿でポーズにする。
「アレックス、お前がスタンドを解除するようになったのは、チームに心を開くためじゃあなかったのか。女だってことは、確かに弱さかもしれねェが…そういうことは俺たちがやればいい。弱さは弱さだけじゃあない、俺はお前の中にある勇気を信じてる。それは男だろうが女だろうが変わらない、お前自身のものだ。
俺にも……明かしてくれないか、本当のお前を」
アレックスがハッとした顔つきになる。
「アバッキオ……わたしなんか……」
俯いてそう呟くように言うと、アレックスは俺に居直って言った。
「忠告は受け止めます。今日は帰って貰えますか」
訊いておきながら、それは俺の返事を求めてはいなかった。肯定や了解以外の返事は。 ただ、だからと言って俺を玄関から押し出すこともしない。気まずそうにこちらを見つめて、促すだけだ。
「お前、そんなだから甘ェんだ」
再びアレックスの右腕を取った。途端、彼女の左腕が光を帯びながら逞しく変化し、簡単に俺を引き剥がした。一方、解放された右腕は俺の傍らをすり抜け、素早く玄関を開ける。俺はあっという間に、外に押しやられていた。
「俺は、あまり手荒なことはしたくないんです。特に、貴方には」
いつもの野郎の姿になったアレックスを見て、守るスタンドかと思ったが、すぐ改めた。ヤツの瞳は男に変わる前からギラついていたからだ。
「お前、触れられるの嫌か」
俺がそう言うと、アレックスの瞳が、より妖しく光った気がした。
「分かってやってるなら、止めて貰えますか」
アレックスは本当に扉をバタンと閉ざしてしまった。ロックする音が冷たく響く。あの強盗の夜には比べられないが、目の前の扉だけではない、何かが閉ざされてしまった気がした。同時に、締め付けられるような感覚を思えた。
――拒否、か……。
伸ばした手が、空を切る。もうノックしても、呼び鈴を押しても開きはしないだろう。
――守りたかったはずなのに、このザマだ……。
以前の病院の帰り道から薄々気付いていた。あの時は拒否されることはなかったが、一瞬彼女の身体は強張った。恐らく事件のせいで、アレックスは身体に触れられるのも、触れるのも忌み嫌っていると。それなのに、好意まで伝えてしまったようなものだ。
――なんてこった……俺は……。
拳を握りしめたまま、踵を返した。俺にはそうするしかなかった。