I need to be in love - 4/5

【アレックス視点】

――嫌われたって構わなかったのだ、あの事を言えば。

翌日から、わたしは後悔に苛まれていた。でも、一方で、これで良かったのだと安堵している部分もある。矛盾した気持ちを抱えて過ごす日々はぎこちなく、日に日にメンバーからの視線が痛々しくなってくる。ただ、アバッキオは驚くほどに普通だった。逆にこちらが面食らってしまうほどに。だからつい油断してしまったのかもしれない。

「アバッキオ、水を取ってくれますか」

リストランテで、アバッキオの傍にあったピッチャーを取ってもらおうと、なんとか平然を装って言った。もう、長いこと口をきいていない気がした。たった数日のことなのに、長く感じる自分が嫌だった。特に声が高ぶることなく言えたと思ったのに、それに気付いたときのアバッキオの態度に、こちらがドキリとした。アバッキオは弾かれたかのようにピッチャーを手にして、わたしのグラスに注いでくれようとした。わたしはそこまでは求めていなかったので、ピッチャーを受け取ろうとしたものだから、見事に“事故”が起こって、テーブルが水浸しになった。

「おいおい、何やってんだよー」

隣でフーゴと勉強をしていたナランチャが、慌ててノートを避難させる。フーゴが溜め息をつく。ジョルノがウェイターに拭くものを頼みに席を離れて行った。なぜかミスタはそれを笑いながら見ている。ブチャラティも意味ありげな表情だ。ひっくり返ったピッチャーを取ろうと手を伸ばすと、同じことを考えていたのか、アバッキオの手がふいに触れた。

――何をやってるんだ、俺は今、男なんだ。

アバッキオの手を振り払うようにピッチャーを起こすと、とりあえずあたりにあった紙ナプキンで零れた水を押さえた。ジョルノが拭くものを持ってくると、それを受け取って拭いた。

「悪かった、アバッキオ。ジョルノも。ナランチャ、ノートは濡れてないか?」
「ああ、大丈夫だぜ。アレックスこそ大丈夫かよ?」

スタンドの出し過ぎで疲れてんじゃあねぇの~?と続くミスタに、そうかもしれないと、溜め息をついたときには、スタンドは解除されて女性に戻っていた。アバッキオの視線が痛い。これだから本当は解除したくなかった。今だってずっと迷っている。チームとの和解のために解除すべきか、アバッキオを意識しないために男性でいるべきなのかを。
一通り拭き終わったところで、ダスターを持っていこうとしたのはアバッキオだった。部屋から出るならスタンドを発動させなくてはならない、わたしへの配慮だろう。

「アレックス、悪かったな。俺が持っていくから貸せ」

恐る恐る、アバッキオの手にダスターを載せた。手が触れないようにダスターを摘まんで、アバッキオの大きな掌に載せたつもりだったのに。アバッキオの長い指が、わたしの手に届いてしまって掠っていくと、なぜかドキリとした。それはアバッキオもだったのか。ぎゅっと握られたダスターから、吸わせたはずの水が滴って落ちる。

「おいおいアバッキオ、せっかくアレックスが拭いたっていうのによォ」
「アバッキオの服まで濡れちまってるぜェ?」

ミスタとナランチャにそう言われるも、アバッキオは然程気にしていないようにダスターを返しに行った。フーゴが呆れた顔で、わたしにひそひそと言った。

「まったく、今度は何だって言うんです?」
「何もない……はずだった」
「はずって……アバッキオはなんであんな……」
「こっちが訊きたい」

訊きたい、と言いつつも分かっていた。アバッキオも普通を装っていただけのことに。眠らせていた想いがあんなことで刺激されたとは、思ってもみなかったのだ。子どもの初恋じゃああるまいしと思いつつ、その様子に揺さぶられている自分も嫌だった。

――アバッキオ……忘れてくれるんじゃあなかったのか。

その日は仕事も少なかったので、リストランテに居辛かったわたしはさっさと自宅に引き上げた。

――アバッキオはわたしを知らないんだ……わたしが、アバッキオが思っているほど眩しくなんかないことも。我慢しながら、既に棄てちゃったこと。よりにもよって金を貰った相手に。しかも、一度じゃあない。

シャワーを浴びる際、自分の女の身体を見ると、考えずにはいられなかった。フーゴにも、アバッキオにも、一体どこまで伝わったのだろう。身体を売ろうとしたけど、無理だったという言い方は、どっちにも取れそうで、狡い言い方をしたなと思った。フーゴには半ば勢いだったが、彼には構わないと思って言ったはずだったのに、それが誰かに……アバッキオに伝わることはないかと心配している自分がいる。

――後悔したことはなかったはずなのに……クソッ……今になってどうして…。

生きるために必要、というのは時に惨いことだ。正当な理由に見えて、取り返しのつかないものを、簡単に奪ったり棄てたりしてしまう。警官を殴らなければ自分は社会的に死ななかっただろう。でも、そこまでして守ったはずの自分の尊厳を、あっさり金で明け渡した。数回それを繰り返したところで耐えられなくなり、ブチャラティを探し始めた。最初はそれも必要だったのだと思っていたが、どうして始めからブチャラティを頼らなかったのかと思うことが、ここのところ増えていた。

――アバッキオはこんなわたしを知れば軽蔑するだろう……わたしは正義も純潔も貫いたわけじゃあない…。

だが、一方でそれは彼を拒絶するのに最も良い方法にも思えた。ギャング同士の恋愛にそもそも将来があるわけでもない。こんな面倒くさい過去を抱える女なら尚更で、性欲の処理さえ出来そうにない女なのだ。仕事の足枷にもなるだろう。今だってぎくしゃくしているが、むしろ嫌われた方が改善するかもしれない。良いこと尽くしの方法だ。それなのに……。

――どうしてこんなにも、胸が苦しいんだろう…。

結局その夜は、なかなか寝付けなかった。

* * *

「……なんでこんな大所帯?」

フーゴに問うた。10歳くらいの少年を見下ろして、フーゴは溜め息をついたのち、答えてくれた。

「それは僕が訊きたいですよ」

昨日は自分が投げかけた言葉を、今度はフーゴに返されてしまった。今日は再びフーゴと組むことになっていた。フーゴはスタンドが実践向きでないので、頭脳的な指示役や連絡役などを任されることも多いが、そんな訳で潜入役の自分と組むことになったのである。任務の場所が少し遠く、そしてわたしはというと、潜入のため既に子どもに変身していたのもあって、彼が車を出してくれることになっていた。しかし、そこでついでに乗せていけと言ったのはミスタ、ナランチャ、そしてアバッキオである。

「ナランチャ、ミスタ、後ろに乗るぞ」
「ええーッ、その乗り方じゃあめちゃくちゃ狭いじゃあないかよッ」

アバッキオが男3人で後部座席に行くよう指示すると、ナランチャが不満をこぼす。なぜかそれにわたしもムッとしてしまった。遠まわしにわたしを気遣っているのが、どこか気が食わない。

「いいですよ、アバッキオが一番大きいんですから、助手席に行けば」

そう言い、後部座席のドアに手を掛けるわたしをアバッキオが見つめているのに気付いていた。

「それにしてもかわいいなァ、お前。俺の膝の上乗るか?」
「やめとく。10歳だからそこそこデカくて重いんだから」

ミスタのいつものジョークをかわしつつ、車に乗り込んだ。席に座ると、引き摺っていた服の裾をまくりあげて、折り込む。服はスタンドで変えられないので、任務が終わったときや、非常事態で大人に戻るときのために、敢えて大きめの服を着ていた。それでも、あまりにもぶかぶかの服も着ていられない。この服もいつものガタイのいい男になれば、破けてしまうだろう。

「ですけど、アレックス、気を付けてください。人通りがないということは、誰かに何をされても気付く人はいませんし、住宅地ですから、家の陰などに引き込まれたら終わりです」

車内で、フーゴは突然、潜入役のわたしに忠告し始める。潜入先は他の組織のアジトだった。周囲から発見を恐れてか、閑静な住宅街にアジトを構えているらしい。見知らぬ男たちがうろつくと目立つからということで、わたしに白羽の矢が立ったわけだ。住宅街の割には人通りが少ない。そういうヤツらを恐れて、あまり人も出歩かないのかもしれない。とりあえず、わたしは学校帰りの子どもを装うことになっていた。何か動きがあれば、公衆電話などを使って逐一フーゴに伝えていく。

「大丈夫。いざとなったらいつもの姿になってボコボコにするし。腕だけ大人にすることもできる」
「でも……」

フーゴは口ごもりながら言う。彼にしては珍しい。

「いくらあなたが今、男の子とはいえ……男だって、そういうことで襲われることはあります……」

言いづらそうなフーゴに、わたしはこの時が来たと、逆に冷静になって決心することができた。

「いいんです、フーゴ。既に……穢れてるんだ、一度や二度じゃあない……。
そんな子どもとヤリたいなんて、誰も思わないですよ……」

俯きながらも、はっきりと車内に聞こえる声で言った。目を上げると、助手席のアバッキオが、ルームミラーを通してこちらを睨んでいるのが分かった。フーゴは愕然とした後、

「そういうもんじゃあないでしょうッ!」

と、キレ始めたので、慌てたミスタになだめられていた。

「アレックス……いくら今は男だからってよォ、そーゆー言い方をするかよ?」
「事実を言ったまでです、ナランチャ……。
とにかく、いつも通り物理攻撃なら問題ないですから」

ナランチャが困り顔で尋ねてきたが、わたしは正面を向いたまま答えた。そうしていると、わたしとフーゴ以外のメンバーの任務の場所に着いたらしい。3人は降りて行った。どこか戸惑いのある雰囲気にしてしまったのは申し訳なかったが、これで……彼には伝わったはずだ。