こんな夢を見た。
暫く連絡も取っていなかった彼が、突然死んだという連絡を受けて、わたしは教会へ向かっていた。
いつどうやってその知らせを受けたのか、それすら覚えていない。とにかくわたしは裏道に隠れるように建つ、塔のような教会にやってきた。
細い細い階段を登っていくものの、それは途中で途切れてしまっていて、中に入る方法が分からなかった。諦めて帰ろうと思った。
忘れた頃に思い出したように飲みに誘ってくる彼を、幼馴染みと呼んでいいのか、腐れ縁と呼ぶべきなのかは分からない。しかし、恋人でもなく友達とも言い難い関係のわたしが、彼の葬式に出席してもいいものなのか、迷っていたのは事実だった。しかし、せっかく彼との別れの機会を与えられたのだ、それを反故にはしたくないという思いも同時にあった。
「お嬢さん、お嬢さん」
諦めて路地を引き返すわたしにおばあさんが声を掛ける。
「今日は日曜日です。よろしければ、教会に行ってみませんか」
やれやれ、こんなところで路傍伝道か。わたしは背後にそびえ立つ教会を指差して言う。
「あいにく、あの教会に行こうとしていたところなんです。そこで友人の葬りの儀があって」
どうして行かないのか、とは訊かれなかった。ただおばあさんはそうですか、とわたしの話を聞いてくれた。そのにこやかな表情を見ていると、つい話したくなった。
「あの……信じて貰えないと思いますが、階段が途切れていて、行けなかったんです」
すると彼女は、一緒について来てくれると言う。他の教会の信徒であるものの、あの教会には会合で訪れた事があると教えてくれた。
「ほら、ここに繋がってますから、入れますよ」
不思議な事に、彼女につられて階段を登って下ってみれば、教会のホールに辿り着いた。おかしい、さっきは階段が途中でなくなっていて、こんな下りの階段は見当たらなかった。しかし、彼女に御礼を言ってホールのドアを開ければ、そこは礼拝堂だった。
棺はまだ置かれていなかったが、真ん中に彼の遺影が置かれていた。間違いなく彼だった。そして、礼拝堂の端っこの席には不思議な格好をした男たちが座っていて、こちらを訝しげに見つめているのだった。
彼らは誰だろう。今の仲間なのだろうか。わたしよりも親しかったのであろう事は、何となく分かった。彼らに会釈をしながら、祭壇の前に立った。
すると、遺影の傍にはもう一枚、パネルとなった彼の写真が飾られていた。葬儀場でもないのに、故人の業績などを偲ぶような演出を、教会がするのは珍しい。
そしてそのパネルを覗き込んで、わたしは驚いた。なぜか写真の中で、彼とわたしが踊っていたのである。それは見事なクラシックバレエのパ・ド・ドゥであった。演目は何だろう、白いチュチュしか見えない。わたしはバレエをやっていたけれども、彼からそんな事は聞いた事は無い。話した事も無かったのではないだろうか。
だがよく考えてみれば、女子に人気の習い事、どちらかというと男性の方が食っていきやすいというバレエダンサーに彼が目をつけて、彼がバイトをしていてもおかしくはない……と、とんでもない考えが頭を過った。
同時に、スッと冷たい風が吹き抜けて、身体がブルブルと震えた。どうしてこんなに凍えるのだろう。今は夏のはずなのに。
「あれ……?」
思わず声を上げた。バレエの写真は変わらないままだったのに、一瞬遺影がわたしに変わったような気がしたのだ。もしかしてソルベが死んだというのは悪い夢だったのではないか。そうだ、これは悪い夢だ。そう思うと気分が晴れてきたような気がしたのに、同時に今度は身体の内側から震えがやってきた。
恐る恐る振り返れば、先程こちらを睨むように見つめてきた男たちは消えていて、代わりにそこにいたのは黒い服を着たわたしの両親、親戚のおじさんおばさんだった。
「どういう事なの……?」
その呟きと同時に、バンッと大きな音が背後でして、これまで以上に強い風が入り込む。礼拝堂のドアが開かれ、吹雪までもが舞い込んで来たのだ。
「ああ……」
わかった、雪だ。くるみ割り人形の。なぜか納得してしまったわたしがいた。しかし、次第に雪に覆われていくパネルの写真は、何やら抽象的な絵柄に変わって行っていた。雪がなくても、わたしはそれが何か理解できなかったと思う。
そこから、何かに導かれるように、わたしは礼拝堂の外に出た。礼拝堂の扉の外はホールだったはずなのに、そこはいつのまにか開けた広場になっていた。すごい雪だ。大きな大きな牡丹雪が、ふわりふわりと舞うように落ちてくるのに、わたしは思わず両手を差し出して受け止めてしまった。
「punizione」
雪に混じるように、それが降ってきた事に、その字が目に入って初めて気が付いた。一枚の紙切れだ。どこからそれが来たのかも分からず、わたしは辺りを見回し、歩き出した。
「ソルベ……?」
そう、歩き出した時の違和感。降る雪はふわふわとしているのに、足で踏みしめたそれは、同じ水分を含んでいるのはいえ、異なるものだった。数日前に積もったために、既に粒子となってしまったざらめ雪。そう、彼の名前のような。
「やっぱりあなたは……」
そう呟いたところで、目の前にバスが止まった。運転席横のドアが開く。顔を覗かせたのは、先程、教会の階段を導いてくれた老婆だった。
「お嬢さん、お乗りなさい」
わたしの疑問には答えてもらえないままに、静かな目配せでわたしをバスに乗せると、彼女は小さな身体でバスを手慣れたように発進させた。走るうちに車体が温まったのだろうか、窓から雪が消えていく……のかと思ったら、街並からも雪は消えていた。
「そこだよ」
彼女はバスを止める事もなく突然言った。でもなぜかわたしには分かった。そこ、と言うのが、バス通りから少し入った裏通りの、ある建物だと言う事に。一見何の変哲もない家屋で、しかも通り過ぎただけなのに、それがわたしの目を刺すかのように飛び込んできたのだった。
「きっと今もそのままさ。あそこは清掃業者も入る事はないからね」
彼女は前を見て運転しながらそう言った。わたしはもっと詳しく聞きたかったはずなのに、規則正しい車体の揺れのせいだろうか、先程から生じていた心地よさに段々と意識を失っていってしまった……。
FINE.