近所の裏路地には、野良猫の溜まり場がある。そこを通らないと大通りには出られないし、家にも帰れない。だから、仕方なく通っているだけなのだと自分を必死に言い聞かせている。最近は特にそう感じることが増えた。
ほら、今日もそう。暗がりで、二つの瞳がキラリと光る。にゃあと一言鳴いて、もぞもぞと闇に紛れながら近付いてきた黒猫。恐らく伸びをしたのだろう。それに気が付いて他の瞳が何個も、彼と同じように近付いてきた。次第に傍の街灯も相まって目が慣れてきて、彼らの色とりどりの柄も識別できるようになった。あっという間にわたしは3匹ほどの猫に、脚に擦り寄られていた。中には片手に提げられた買い物袋の中身を、匂いによって物色している子までいる。それ以外にも、わたしを取り巻く子たちがいる。
足を止めてしまいたい。その額や、弧を描く背中、ピンと立った尻尾に手を這わせてやりたい。愛しい彼らにそんな衝動を覚えるものの、彼らをかき分けるように歩みを進めた。彼らはわたしのそんな素振りに何も思うことなどなく、追ってくる。
「今日は魚は買ってないのよ」
これは本当だ。遠目から彼らを見つめて愛でていただけの日々が突如変わったのは、このアパートに来てから初めて、スーパーで生の白身魚を買った日だった。あのときまでは、わたしは彼らを怖がらせないようにと、視線を合わせないよう注意しながら彼らをそっと見つめていたのに。尚も媚びを売り続ける彼らと、日本に残して来た母親のところの、飼い猫と言い切れないほどに増えてしまった大群とが、ダブって胸が苦しくなる。
「ベッラに撫でて貰えるだけでも、御の字だと思うぜ」
背後から男の声がして、思わず振り返った。いつの間にか、彼らを照らしていた唯一の街灯にもたれ掛かるように立つ、坊主頭の男がいる。剃り込みの入った頭、黒い格子状のアンダーに赤いスタッズ入りのシャツ。何だか奇抜で強めのファッションに、すぐ分かった。この人は、気軽に口をきいてはいけない人だと。すぐに背を向けて、猫をかき分けて進もうとする。
「そういうところ、アンタもガッティーナだなァ」
男はそんなわたしに構わず話し続ける。それなら、男もこの子たちと変わらない。関わりを避けたいわたしのことなんてお構い無しのところが。そんなわたしの心の声を読んだかのように、男は忍び笑う。
「ガッティーナ……アンタ、本当は猫が好きだな……それでもって詳しい。コイツらは見抜いてる」
ぎくりとして、完全にわたしの足が止まる。コツコツと、わたしでないローファーの音が響く。
「アンタは本当は飢えてる。コイツらを愛くるしく見つめながら、用心深い。本当は好きなのに、頭でっかちになっちまってる」
わたしを取り巻く猫たちが、訝しげにわたしの背後を見やる。そっとわたしの腰にごつごつとした手が回され、反対側の耳元にフッと息を吹き掛けられた。その肉感と体温にドキドキしてしまう。本当は逃げなきゃあいけないのに。でも、足が動かないのは、このゾクリとした感覚が恐怖じゃあないからだ。
「俺なら本能のままに行くけどな。コイツらと同じさ」
男はそう言って、腰に回した手を身体に沿わせ、そっと胸に触れたかと思うとすぐに撫で下ろし、ボトムスとシャツの隙間に手を差し入れた。
「あッ……」
しかし、男の手はそこで出ていってしまった。再び腰を抱かれ、囁かれる。
「なァ、ガッティーナ。ソレは置いといてよ、メシ食いに行かねェか。何ならガッティーナの家で手料理でも、俺は構わないがなァ。どっちみち……なァ、分かってるなァ?」
ああ、ガッティーナと呼ばれつつも、わたしだってとんでもない猫を拾ってしまったらしい。
FINE.