Il Matrimonio!?【フーゴ】

 任務を終えて、いつものリストランテに戻って来た。帰宅を告げて、大抵のメンバーはこちらを見て返してくれたのに対し、ブチャラティとアレックスは各々のラップトップの画面と睨めっこしたままだ。やはり仕事が立て込んでいるのか。ブチャラティに報告をしなければ、そして手伝いを申し出ようと、アレックスの横を通り掛かった時である。

「本気の結婚、応援します!」

 そんな白地にピンク色の文字が躍っている画面が、見えた。画面の如く頭が真っ白になり、顔が熱くなっていくのが分かった。

「なっ……」

 思わず漏れた声にアレックスが気付いたようだ。しかし、画面を見られたことに何の抵抗も無いのか、振り返るなり笑みを漏らした。

「あら、お帰りなさいフーゴ」
「お、お帰りなんて……君は仕事中に、一体何をッ……」

 最初はなぜこんなにも顔や全身が熱くなり、震えているのかが分からなかった。だが、今なら分かる。これは怒りだ。僕のお決まりの。画面から一瞬も目を離さないほど忙しいブチャラティを、君は手伝っていたんじゃあなかったのか。それが……婚活サイトだって……!?

「フーゴ、戻ったか。丁度良かった。早速で悪いがこれから出られるか」

 そこでブチャラティが何も見ていないかのように微笑み、迅速にテーブルの上を片付け始めた。僕はアレックスのことを告げようとしたものの、あれよあれよという内に、僕はブチャラティによってリストランテの外に連れ出されていた。

「ちょっと……ブチャラティ、いいんですか!?  彼女は仕事中に、こっ、こっ……」
「見たのか。まあ、彼女もそういう年頃だろ……」
「本気で言ってるんですかッ!? 彼女だってギャングなんですよ!? そんな一般人と普通の結婚なんか……」
「いや、最近のアレは本当によく出来ているらしいな。性格や遺伝子情報まで……上手くマッチングしてくれるんだろ?  心配するな」

 そのまま、ブチャラティは先を急いでしまった。慌てて追うも、僕の頭から、あのピンクの文字が消えることはなかった。

   *  *  *

「あら、フーゴ」
 後日、任務の合間に街角で出会った彼女の様子に、僕は直立不動になってしまった。丁寧にカールされた髪に睫毛、テカテカと光る唇、染められた頬にしっかり引かれたアイライン。そして……淡い色のワンピースに、普段履いているところを見たことのないハイヒール……声を掛けられなければ、アレックスだと気付かず通り過ぎていたかもしれない。それは最早ギャングではなく、一人のシニョリーナだった。

「どうしたんです、その恰好……」
「変?  これから会うのよ、その……婚活サイトの、相手」
「え?」

 早すぎやしないか。確か、サイトを見ていたのが数日前だ。

「大丈夫、大丈夫。毎日メールのやり取りはしているから、わたしも相手がどんな人か、分かってるつもり」
「へぇ……どんな人なんです?」

 しかし、試しに訊いてみたのが悪かった。僕は猛烈に後悔することになった。

「そうね……なんか、ただ自分が凄くて結婚相手に相応しいってアピールしてくるだけじゃあないのね。こう……わたしの話も聞いてくれつつ、君のことも頼りにしてるよっていう感じ。優しいのよね」

 僕とは正反対だ……ナランチャやミスタ、そしてアレックスに何かと理屈っぽく説教してしまう僕、すぐにキレてしまう僕とは。
 そこでハッとする。どうして、僕はアレックスの相手と自分とを比べているのだ。そこで僻まなくてはならないのだ。

「それじゃあ、約束の時間があるから!」

 そう言って去って行ったアレックスの背中を、僕は胸を掻きむしるような思いで見つめていた。

   *  *  *

「戻りました……ブチャラティと……アレックスは?」

 ある日、任務が終わりリストランテに戻れば、ほぼ全員が勢ぞろいだった。先述のふたりを除いては。

「ブチャラティは今日立て込んでるみたいですね。約束が何件か」

 ジョルノが律儀に答える。それに続いて、ミスタがニヤつきながら言った。

「アレックスは……アモーレだろ?」
「最近、よく会ってるみたいだな。めかし込んで出掛けるのをよく見る」

 アバッキオも会話に加わる。

「にしてもよォ、展開早くないか?
 それに、しょっちゅう持ってるあの紙袋は何だ?  けっこうパンパンだしよォ」
「しかし……本人が何も話しませんし、ブチャラティも本人の好きなようにさせろと言いますし……」
「アレックス……結婚したら、やっぱりもうここには来ねェ……よな。ブチャラティもそれ分かって言ってるんだろうし……」

 ミスタとジョルノの会話を受けて、ナランチャがテーブルに肘を付きながらポツンと言った。

「あ、あ、当たり前だろ……」

 なぜこんなにも自分の声が震えているのか。そこでやっと気が付いた。頭脳に誇りを持っていたはずの僕が、どうしてこんなことを失念していたのか。つまり、アレックスはパッショーネから足を洗うために結婚するのだ。そんな上手くいくものかと思っていたが、あのブチャラティが支持しているのだ、恐らく揺るぎない何かが背景にある。そうすれば、アレックスは間違いなく、このリストランテに顔を出すこともなくなる。

「……ッ」
「おい、フーゴ、どうした」

 アバッキオが怪訝な顔で僕の表情を覗き込んで来る。しかし、そこにウェイターが現れた。何でも、ブチャラティから電話だと言う。

「Pronto? ナランチャだけど、ブチャラティ?」

 なぜか、電話を代わったのはナランチャだった。

「任務が長引く……そうか。え?  アレックスを車で迎えに行って欲しい?  なんでだよ?  だって今、アレックスはよォ……え、至急?」
「いいから場所を訊けッ、ナランチャッ!!」

 どうしてウェイターはコイツに代わらせたんだッ!  そうイライラしながら、僕はナランチャにメモとペンを渡した。

「分かった分かった、フーゴ、怒るなよォ……で、ブチャラティ……」

 ナランチャがメモを書き終わったところで、僕はそれを千切って、テーブルにあったキーを持って駆け出した。

「なんだ……?  フーゴ、どーしたってんだよ……」
「アイツ……やっと気付いたかよ……遅ェ……」
「まあ、手遅れにはならんだろ」

 アバッキオとミスタが呆れた顔で話しているとは知らずに。

   *  *  *

 運転しながらずっと考えていた。

――ブチャラティ、何故今になって急に迎えに行けと言ったんだ?  アレックスに何か、あったのかッ!?

 ナランチャのメモに書かれた住所を目指して、車を走らせる。よくよくメモを見てみれば、特に男女がデートに行くような場所でない。街の外れの、寂れた場所じゃあないか。なんでこんなところにいるのか。

――アレックス、騙されているんじゃあないのか……!?

 キュッとブレーキでタイヤが音を立てて、停車する。その裏通りに、アレックスと男がいる。なぜか、アレックスと男はお互いの腕を掴み合い、取っ組み合いになっている。慌てて車から降りる。その表情も険しいのが、近づいて分かった。

「アレックスッ!」
「フーゴ!?」

 驚いたアレックスがこちらを向いた途端、男が隙有とばかりに彼女が抱えていた紙袋を奪った。それに気付いたアレックスが取り返そうとし、紙袋が破れた。中から出てきたのは……。

「おい……これは……どういう事だ……」

 脳裏で何かがプチッと音を立てて切れたような気がした。紙袋からドサドサと溢れたのは大量の札束だった。

「お前……タカッてたのか……!? 彼女に近づいておきながらッ……」

 男は悪びれる風もなく、ヘラヘラ笑う。しかし、何か言おうとするのを僕は遮る。

「いいか……アレックスはなァ……普通のオンナじゃあないんだ……よっぽどの奴でないと、彼女のことを任せられない……アレックスだって、相当の覚悟をして相手を探したはずなんだッ……それが、コレか……!?」

 じわりじわりと近寄ってくる僕の異様な雰囲気に、相手も遂に気付いたらしい。いや、というよりは、焦るアレックスの表情を見て気付いたようだが。だが、止められなかった。

「お前なんかと結婚させるくらいなら……僕と結婚した方が遥かにマシだッ!!
 パープル・ヘイズッ!」

 僕の陰から突如飛び出した紫のチェック柄のシルエットが、男を捕らえ、ウィルス入りカプセルの付いた拳を、まさに叩き入れんとする。しかし、そこで僕の腕が掴まれた。パープル・ヘイズでない、僕本体の腕が、アレックスに掴まれているのだ。

「早まらないでフーゴッ! そいつは生け捕りにするようブチャラティに言われてるのよッ!」
「ブチャラ……ティ!?」

 その名前を聞いて、そして続く『生け捕りにする』という単語に、頭の熱がサーッと引いていくのが分かった。すんでのところで静止したパープル・ヘイズを収める。パープル・ヘイズに胸倉を掴まれ宙に浮いていた男は、ドスンと地面に叩きつけられ、打ちどころが悪かったのか気絶してしまった。アレックスが僕の腕を解放し、やれやれと言う。

「フーゴ……本当に何も知らなかったのね。ソイツは結婚詐欺師。もう何人もの結婚願望のある女性から金を搾り取っては逃げてるクソ野郎よ。よりによってパッショーネのシマで詐欺を働いて私腹を肥やして。何するか分かんないし金を回収するには生かしとかなきゃ」
「じゃあ、婚活サイトを仕事中に見ていたのは……」
「任務に決まってるでしょ、オトリ。貴方の言う通り、わたしはギャングで普通の女じゃあないんだから、普通の結婚なんてできるワケないでしょ」

 そう言うと、アレックスは気を失ったソイツを担ごうとした。車にコイツを乗せるのだろう。僕はそれを制する。携帯電話を手渡して、ブチャラティに電話するよう言う。

「別にいいのに……わたしとブチャラティの任務だったから」
「君は自分を口説いていた男を担ぐんですか……ああ、もう、ソイツにそれ以上触らないでください」

 そこで、さっき自分が怒りのあまり口走ったことを思い出してしまった。そして、アレックスが婚活サイトを見ていたときから、その怒りが同種のものであったことに、やっと僕自身が気付いたのだった。

「ありがとう……フーゴ……その、さっきのことも」

 ボソリと言った彼女を、反射的に見た。つまり、それは……うつむき加減の彼女の頬は、赤く染まっていた。

「あれ、思い付きじゃあないですから……」

 情けない。ここまで来ても、僕はこうしか言えないんだから。でも、ヤツをトランクに二人で押し込んだ後、自然に助手席に座ってくれた彼女は、そんな不甲斐ない僕を許してくれているのかもしれない。

FINE.