バスの時刻表を確認した。丁度行ってしまったところらしい、仕方なく十分先のバスを待つこととする。列に並びながら、ショルダーバッグから文庫本を取り出した。最近買ったところだが、こういう移動時間でないとなかなか読めないのだ。家では家事に追われているし、帰宅後は疲れ切ってしまって活字を追うのも辛い。そして、仕事中はもちろん本など読めない。頁をめくる度に、カサカサと乾いた音が立つ。
「おい」
聞き覚えのある声だと思ったときには、背後に大きなものが立つのに気付いた。案の定、黒いコートに身を包んだアバッキオがうんざりした顔で見下ろしている。
「アバッキオ! 偶然ね」
そんな言葉はお構いなしで、アバッキオはわたしと目さえ合わせない。何を見下ろしているのかと視線を追えば、どうもそれはわたしの読んでいる文庫本のようだった。
「ああ、これね。面白いんだけど、なかなか読む時間がなくて」
「お前、その手袋は、している意味があるのか」
どうも勘違いをしていたらしい。確かに、わたしの嵌めている手袋は所謂フィンガーレスグローブというものだ。手首のあたりまで丈がある代わりに、先は手の甲までしかない。親指だけ穴が分かれているものの、あとの四本は分かれていない、ざっくりとした毛糸の手袋であった。
「そんなことないわよ」
ケーブル編みのそれは、見た目にも温かいように思えた。色だって鼠色。動物の名前が入った色合いって、それだけで耳にも温かく感じる。しかし、アバッキオは頁をめくろうとしていたわたしの指を、丸ごと大きな手に掴み取ってしまった。彼の手にぴったりの革の手袋がひやりとするようで、さりげない温かさを感じた。黒のその色は、彼によく似合っていると思う。
「ちょっと……!」
危うく文庫本はわたしの手から滑り落ちることはなく、慌ててもう片方の手の親指を挟み込んだため、読んでいた頁も行方不明にならずに済んだ。
「どこがだ。やっぱり冷てェ指しやがって」
革ごしにでも伝わってきたのだろうか。しかし、彼の言うことは正しい。冷気にさらされていたはずの革はひんやりするはずなのに、それさえ温かいと感じてしまうわたしの指なのだ。凍えていたのだろう。そして彼は、わたしの指先が寒さで赤くなっていることを指摘したのだった。
「だって……フィンガーレスのじゃあないと、本の頁もめくれないし……ケータイだって不便でしょう?」
今でこそICカードを定期券入れに入れているものの、ちょっと前まで電車のチケットさえ取れやしなかったのだ。わたしの指が短いのか手自体が小さいのか、指先まである手袋は布が指先で余ってしまい、何を摘まむのにも不便だ。アバッキオはそんなわたしの反論を聞いて溜め息を着いた。
「それにしちゃあ、あんたの手が凍えちまうぜ」
そこまで言ったところでバスが来た。アバッキオは仕方なく列の最後尾に回る。乗ってしばらくすれば、アバッキオはさりげなくわたしの席の前に立つ。
「せめて、ミトンのカバーが付いたタイプか、もう少し指が覆われているものを使え。そうすりゃ本を読んでいるとき以外はマシだろうが」
「わたしの手、ちっちゃいからね……」
「面倒くさがらずに探しゃあいいだろうが」
すると、今までわたしを見下ろしていた目が、泳ぎ始めた。窓の外を眺めるようで、どこかキョロキョロしている。
「……今度、付き合え」
そこまでしなくったってと思いながらも、その申し出にわたしは思わず頷いてしまった。
FINE.