「……これが、なぜ、ここに……」
その日、露伴先生の家を訪れたわたしは台所で驚愕し、立ち尽くしていた。訪問早々、どうして台所に居るのかといえば、露伴先生が仕事中だったからだった。筆が載っているのだろう、もう仕事を終えているかと思って来てしまった。これだけは付き合いが長く深くなってもなかなか掴めなかった。そうして紅茶を用意しようとしたその時だった。
彼の髪と同じ、深い緑色のパッケージ。掛けられたこげ茶色のリボン。最近売れ出してきたブランドで、この緑も特徴的な色合いだったから分かる。それはまさしく丁度1ヶ月前のバレンタインデーにわたしが露伴先生に贈ろうとして、叶わなかったチョコレートと同じ物だった。
もうあれからひと月が経ったのか。わたしはファンたちから山のようにチョコレートを贈られる露伴先生の事を慮って、手作りを鼻から諦め、どんな変わり種やユニークさを持ったチョコレートを贈るか毎年リサーチに余念が無かった。無かったはずなのに、色々選別している内にそれは人気の余り売り切れてしまったのだった。代わりに2番手の物を購入し贈ったのだが、翌日、恐らく出版社から持ち込まれた、山積みのカラフルな包みの中にそれを見つけた時は絶望に近かった。
「これは僕がバレンタインデーの贈り物として貰ったんだからな」
何を勘違いしたのか、露伴先生はわたしの目の前で真っ先にそれを開封して、頬張っていた。いや、確かにわたしもありつきたかったですけれども……。
「さ、さすがは露伴先生のファンの方、洗練された流行感覚と、素早い行動力をお持ちで……」
露伴先生の漫画が売れている……つまり読まれているのは、勿論先生の画力とか、技術の面は言わずもがな、この2つが欠かせないからだ。なのに……わたしはただの一般人で、そんな物さえ持っていない。出遅れているようで、この人の隣にいていいものなのだろうか……結局その日はチョコレートを渡すのもそこそこに、バレンタインデーとは思えない気持ちで帰路についたのは忘れられない。まあ、それでもわたしはこうやって押し掛けて来ているわけなのだけれども……。
「ここにいたか」
扉を開ける大きな音に、思わずティーポットを取り落としそうになった。さらにその食器の立てる音で動揺してしまう。深緑の袋がパサリと音を立てて横倒しになった。
「おっ、終わりました、か?」
「何をそんなに慌てているんだ」
先生はなぜか怒っていた。スランプなんて無縁の彼なのに……かと思いきや、わたしの横からその深緑の包みをかっさらって行ったのだった。そして、ティーポットを置いた後も落ち着きを失くしていたわたしの両手に、それをねじ込んだ。
「どうした。僕は律儀な人間だ、毎年返してるだろ」
「で、でも、これって……」
そこでああ面倒くさい、と言うように、なぜか露伴先生が包みを奪い返し、開封し始めた。ひと月前の彼の台詞を借りようかとも思ったが、どうせ「贈ったのは僕だ」と言われるのは分かっていた。そこは付き合いが長いから。
「誰も要らないとは言ってないじゃあないですか」
遂には一粒摘まんで口の中に入れてしまった彼に、ムキになって幼いとは思いつつもそう言ってみた。すると、彼は口をモグモグさせながらも、その端を上げて接近してくる。及び腰になるわたしを掴むように引き寄せて、突如顔を寄せて来たのだった。気付いた時には唇に柔らかい感覚と、こじ開けられたところからトロリと苦いものと、甘い香りが流れ込むのが分かった。
「んっ……」
その声まで抑え込まれて、解放されるまでの時間はとても長く感じた。まるで流し込まれるようだったチョコレートを全て吞み込んだところで、彼は唇を離した。
「全く……馬鹿な事を考えてるんじゃあない」
彼は顔こそ赤らんで、息も荒かったけど、後はいつもと変わらないのだった。わたしの思考が分かりきっているという事も。
END.