There’s a Kind of Hush

「おいお前、その手、どうした」

リストランテで部屋の入り口を眺めていると、左手でコーヒーカップを持つわたしに、アバッキオはすぐ何かを感じたらしい。いや、最早初めから右手に目が行っていたのかもしれない。親指の付け根は赤く腫れてきてしまっていたのだ。

「ちょっとな……」
昨日の任務で、敵が投げてきた鉄くずか何かを、思わず素手で受け止めてしまった。いくらスタンドで屈強な男性になっているとはいえ、生身の手だ。耐えきれなかったのだろう。

「ところで、ジョルノはまだ来てないんですか?」
アバッキオは驚いたような目をした後、きつく目を細めた。

「お前は本当に……タイミングの悪い野郎だ……」
「へっ……」
「忘れたのか? ジョルノもブチャラティも、昨日から北部に任務で出てちまってんだ!!
3日は帰って来ねぇ!!」

という事はなんだ、ジョルノに治して貰う気満々だったのに、わたしの手は暫くこのままってことか……? それは困る。わたしのスタンドは自分自身でしかないので、ケガや病気を治したり、他人にはなったりはできない。
唖然とするわたしに全てを察したのか、アバッキオがわたしの右手首をぐっと掴む。そんな事をされたら、うめき声を上げることしかできなかった。

「おい、フーゴ。今日コイツに入ってる仕事は何だ」

アバッキオは近くにいたフーゴに尋ねる。今日はいつもの縄張りの店を回るだけだ。それくらい行けるというわたしの意見は呆気なく却下された。フーゴのじと目が痛い。

「まったく……午前中の分は僕が行きますから、とりあえず病院に行ってきてください」

そういうとフーゴは席を立つ。だから僕はあのふたりが遠方に行くのは反対で……とブツブツ文句を言っている。アバッキオはなぜか当然のごとく、入り口でわたしを振り返った。

「ほら、早く。おめェ場所知らないだろ?」

ああ……と生返事をしつつ、アバッキオについていった。

* * *

「ああー、折れてますねェ。コレコレ」

整形外科医はレントゲン写真を指差しながら言った。親指の付け根、豆のような形をした骨にヒビが入っている。

「この骨ね、ほんっとくっつきにくいんですよねェ。
だから、しっかり固定させて貰いますよ」
「え、いや、待ってくれ! それは困る!! 大丈夫だ!!」
「いやですから、しっかり固定しないとくっつかないんですってー!!」

必死の抵抗も空しく、わたしの右手はギプスで固定されてしまった。掌から肘のあたりまで、プラスチックの筒にでも入ったかのようにがっちりホールドされている。それを三角巾で吊っている状態であった。

「誰か嘘だと言ってくれ……」

そして、わたしは最大のミスを犯していた。アバッキオに急いで連れてこられたがために、わたしは女性の姿のまま病院に来てしまい、そのままギプスを嵌められてしまった。女の細腕に合わせてギプスをしてしまったものだから、いつもの男性に変身すると、腕が千切れそうなほどギプスがきついのである。

「これじゃあ当分変身できねぇな。それで男になってみろ。腕が鬱血して悪化しちまうぞ」

確かにアバッキオの言う通りなのだが……仕事はどうなるのだ。ブチャラティに代わって仕事を割り振っているフーゴがキレるのが目に浮かぶ……。頭を抱えるわたしを、アバッキオが鼻で笑った。

「ちょっと待って。なんで笑うの、心配してるんじゃあないのッ?」
「ああ? 気のせいだろ? 俺は凄く心配だぜ……変身できなくなって、ずっと女のままでいる彼女のことがな……」

そう言って優しく肩に手を回してくるアバッキオに、わたしは愕然としてしまった。

「お前、ブチャラティたちが帰って来るまでどうするんだ」
「どうするって……仕事は休むしかないでしょう……」

男性に変身したとして、少年くらいにしかなれないだろう。手負いの子どもが仕事なんて、襲ってくれと言っているようなものだ。

「当たり前だろ。利き手が使えないだろうが、それでも事務仕事くらいは手伝え。
だが、俺が言ってるのはそういうことじゃあねぇ」

アバッキオは、わたしの右手を指差して言った。

「お前、さっき医者に何て言われた? 無理に動かさないことは勿論だが、濡らさないようにも言われただろうが。家でどーすんだ」

ギプスの中の綿が濡れると不衛生だからだ。確かに、医者にそう言われた。アバッキオは意外と医者の話をよく聞いていてくれたらしい。

「食事は外でするしかないですね……」
「別にいいじゃあねぇか、家で食ったって。第一、女の姿でしか過ごせねぇんだ、なるべく家で過ごした方がいい。なんなら俺が行ってやる」

最後の言葉にちょっと驚きながらも、そうするしかあるまいとわたしは諦めていた。アバッキオは慎重に、わたしたちの仲を進めてくれている。部屋に来ることはあっても、それにまだ緊張しているわたしがいることも分かってくれている。

「ごめんなさい。お願いします……」
「いいんだ、そう堅苦しくなるな」

この後何が起きようとしているかなど、気付く由もなく……。

* * *

「今、なんて言った……」
「だから、バスローブに着替えて来いと言ったんじゃあねぇか」

その日、家でふたり夕食を終えた後、その時はやってきた。先ほど、スーパーでわざわざ有料のレジ袋で買い物をしたのを不思議に思っていたのだが、アバッキオは台所を片してくれた後、その大きなレジ袋をバサバサさせながら見ている。

「この袋だったら、そのギプスを覆えるんじゃあねェか。さすがに3日……いや、3日でアイツらが帰って来るとは限らん。さすがにその間シャワーも浴びられねェのはツライだろ。服を脱いだらコレを付けてやるから」

アバッキオに促され、ひとり洗面所で服を脱ぎ、バスローブに袖を通す。でも、この先は……? どうするんだろう。左手だけで洗えないことはない。洗い残しは多少あっても仕方ない。うん、そうだ、そう言おう。自分で出来るって言うんだ。なぜか決意するように、リビングに戻った。アバッキオはわたしのバスローブの袖を捲り上げ、黙々とビニール袋を結び付けてくれた。

「できたぜ。上がったら取ってやるから行って来い」

あっさりそうわたしの背中を押したのだった。拍子抜けしたわたしを見て、アバッキオが首をかしげる。そして、フッと笑う。

「なんだ? 俺に洗って欲しいかよ?」
「え、いや、そういうわけでは、ええと……」

どうしたんだ、さっき自分で出来ると伝える決意をしたところではなかったのか。そう葛藤しつつも、さっき背中を押された時、バスローブ越しに感じたアバッキオの指の感触を思った。

――あの指でシャンプーされたら……。

でも、それはこの裸体をアバッキオに晒すということになる。アバッキオに心を許せるようになったものの、過去からの恐れがなくなった訳ではない。どこまで彼に許せるのかが自分にも分からないまま、流されてしまっていいのか。

「アバッキオ、お願いがある……」

* * *

予想していた通り、アバッキオの指は心地いいものだった。目を閉じて、頭皮に触れるそれだけを考えるようにした。
シャカシャカとシャンプーを泡立てられながら、そのゴツゴツとした指で頭皮を強くなぞられるのは本当に気持ちが良かった。誰かに頭を、髪を触られるなんて何年ぶりだろうか。しかし、この快感に身を委ねることに迷いがない訳ではない。アバッキオに触れられるのに恐怖を覚えなくなったとはいえ、今この状態は何をされてもおかしくなかった。
今自分は、壁に取り付けられたシャワーに向かって全裸で立っている。その背後に、上半身裸になって、ズボンの裾を捲り上げたアバッキオが立ち、自分にシャンプーを施していた。服を濡らさないためとはいえ、恋仲になって間もない2人にはなかなか刺激的な光景である。

「シャワー出すから、顔にかかるぜ。目瞑れ」

背後からの声がシャワールームに木霊する。少し掠れ気味の声にゾクゾクとしてしまう。アバッキオの手が自分の横をすり抜け、カランを回す。湯が掛かり始めると、アバッキオが撫でるように髪の泡を洗い流す。
カランが止められ、泡立てられたスポンジが背中に押し当てられた。そのスポンジを握る指が時々背中に触れるのがくすぐったい。背中を何往復かして、左腕を洗われた後、スポンジを握った手が差し出された。

「ほらよ。髪と背中、左腕を洗えってことだっだろ」

ありがとう。そう言ってそのスポンジに手を重ねると。

「ああッ、クソッ。お前は本当にッ……」

急に左から顎を掴まれたかと思うと、そのまま上を向かされ、迫ってきたアバッキオに口付けられた。強く吸われ、角度を変えて押し付けられる唇はとても熱い。唇が離れると、アバッキオは苦悶の表情を浮かべていたが、そのまま踵を返して出ていってしまった。仕方なく、握らされたスポンジで残りの部分を洗う。スポンジを握りながら左手でカランは回しにくかった。

* * *

「悪かった。怖かったんじゃあねェか」

リビングに戻ると、服を着たアバッキオが、こちらに背中を向けたまま言った。

「そんなことない」

そう言ってアバッキオの背後に近付いた。腰から腹部に手を回す。

「あなたに触れて欲しかったの」
「お前……そんなこと言ってどうなっても知らねェぞ……」

アバッキオはそこでやっと振り返る。彼が姿勢を屈ませたところで、ビニール袋がガサガサと音を立てる。

「これ以上焦らすんじゃねェ」

そのまま、再びわたしにキスを落とした。ビニールについた水滴が、アバッキオの上着に染みていった。

* * *

3日後、ブチャラティとジョルノは無事帰還した。ブチャラティによってギプスは切開され、ジョルノによって成長させられた骨はくっついた。それを遠巻きに見ていたアバッキオに、右手を振りながら近付いた。

「ありがとう。もう大丈夫だから」

しかし、彼はそんなわたしを素通りして行った。こんな呟きを漏らしながら。

「良いじゃあねェか、これからだって家に行ったってよ」

FINE.